鴨長明(1155~1216)は、下鴨神社 禰宜(ねぎ)鴨長嗣(かものながつぐ)の次男として生まれた。
応保元(1161)年7歳の時、神社の式年遷宮がおこなわれ、それを機に神職の道に入る。
かたわら和歌も学び、才能を評価されて46歳にして後鳥羽上皇から宮中の和歌所寄人に任ぜられる。
よく知られている「石川や瀬見の小川の清ければ月も流れをたずねてぞすむ」は、下鴨神社 糺(ただす)
の森をよんだ名歌である。新古今和歌集に10首の歌が採録されるなどすぐれた歌人であり、また、琵琶や
笛、琴などの管弦もたしなむ都の文化人でもあった。
しかし、父親や兄弟との確執が原因で約束されていた摂社河合神社の禰宜職につけず、挫折により
50歳の春にして出家。せまい方丈の庵をつい(終)のすみかとして、名著「方丈記」を書きあげた。
長明ゆかりの河合神社境内には、実物大の方丈が復元展示されている。(下図右列参照)