東華菜館 |
昔から親しまれてきた建物だ。もともとは西洋料理のレストラン「矢尾政」として建てられたが、戦後中華料理のレストランに替わった。スパニッシュ・バロックの建物で、玄関まわりには食材である魚、貝、蛸などの装飾がちりばめられている。米国オーチス社製のエレベーターは、現役で稼働している。島津製作所河原町別館のエレベーターと同じ、ジャバラ扉だ。 |
龍谷大学の歴史は寛永16(1639)年の学寮に起源する。近代的な教育機関を担う施設としてこの建物ではあえて西洋建築の様式が採用された。さすが大谷探検隊を派遣した西本願寺だ。「木造石貼り建築」、これは木骨に石を貼った擬洋風建築で、まだ西洋建築教育が始まっていない時期に建てられたもの。まさに洋風建築の先駆けだ。品格が漂っている。 |
龍谷大学本館 |
本願寺伝道院 |
周辺は仏具などを扱う西本願寺の門前町だ。そこにこつ然と現れる東洋風の意匠をこらしたレンガ建築は異様な存在感を持っている。 窓まわりやドームの意匠にインドやサラセン、中国のモチーフが使われている。西本願寺の信徒のために作られた保険会社だったが、現在は僧侶の教育施設の場になっている。設計者の伊東忠太(東京帝大教授)は、日本建築は欧化するのではなく、自ら進化すべきであるとする「建築進化論」を唱えた。
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