< IT 画文集  >     左 近 茂 樹   2/4          

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 12年前(62歳のとき)、今回と同じ府立病院で腎臓ガンの手術を受けた。この時は術後すぐに急性膵炎を発症し、連日高熱が続いた。三週間もの間食事はとれず、点滴だけの日が続いた。あの時は本当に辛くて、しんどかった。 さらに当時現役だったので、思いがけない長期入院となり、いつ退院できるか分からず、ものすごく焦ったものだ。術後、感染症予防などの点滴や排尿のためのチューブや膵液が漏れるため腹部に穴を開けてドレンで吸い上げるチューブを付けたままの体であったが、痛みや高熱が続くことのない術後の生活は、信じられないくらい心にゆとりを与えてくれる。
 一番たいへんな想いをしたのは家内だった。朝8時から僕のベッドがある病室で待機した。ところが事前に聞いていた6時間が過ぎても何の連絡も入らない。うまくいっているのだろうか、ひょっとしたら大トラブルが起こったのではないか・・・、そんな不安が次々と湧き出たという。手術が終わって麻酔が切れた午後7時、「手術、終わったよ」 耳元で家内の声がした。 死んだ私をこの世に呼び戻してくれた声だった。あの時の声は一生忘れられないだろう。家内には心配をかけた。本当に長い一日だっただろう。
 入院から退院するまでの3週間を通じて思ったことや出来事、6人部屋で見聞きしたこと、余りある時間をどのように過ごしたかなどを思いつくまま「入院の記」として書き留めた。

(毎日、7階病棟から東山連峰を眺めていた )


医師(団)のこと
 近年、大病院では大きな手術は数人でチームを組んで臨んでいる。メンバーが事前に十分にディスカスし、情報を共有する体制が敷かれている。僕の場合、メンバーは5人だった。だから術後の観察、処置などでメンバーが入れ替わり立ち代わり担当しても、安心して診療を委ねることができた。 術前のオリエンテーションで、膵臓の手術時間は6時間かかるとの説明であったが、10時に開始し、終わったのは午後6時であった。なんと8時間もかけての手術だった。 手術を受けた当人は全身麻酔が施されているので6時間であろうと10時間かかっても痛くもかゆくもない。生きているという意識すら取り去られ、夢も見ない、(おそらく死んだらこのような状態になるのではないか)あとで聞いたことだが、おなかに7か所穴を開け、その穴から操作器具を入れて行なう腹腔鏡手術と呼ばれるものだった。そのうちの一つの穴から空気を注ぎ込んでおなかをふくらまし、操作をしやすくすることもあったようだ。(子供のころ、カエルを捕まえて空気入れでおなかをポンポンに膨らませるといういたずらをしたが、今度は僕がカエルになった)。