その場所を訪れました
8月初め、コロナ禍 マスクをして訪れたところは、市中の北部に位置する住宅街にありました。二本松薩摩藩邸跡(現同志社大学今出川キャンパス)から北へ徒歩約13分のところに、歴史的会談が行われた「小松帯刀寓居跡」がありました。
「へぇー、ここがそうか!?」・・・・往時をしのぶことができる痕跡が少しも残っていません。東京遷都とともに広大なお公家さんの別邸もこの世から消えてしまったのです。
跡地の一角は、現在「喫茶フランジパニ」という店になっています。古い町家を改装したカフェです。初老の婦人がやっておられます。オープンは15年前からです,とのことでした。
店の中はゆっくりくつろげる雰囲気です。奥には和室もあります。小松帯刀の本も置いてあります。
ここでアイスコーヒーを飲みました。
たしか薩摩藩と会津藩は、文久3(1863)年・「八月十八日の政変」の直後、「薩会同盟」を結んでいます。そして翌年、この両藩が結束して尊皇攘夷を唱える長州藩を京都から追い払いました。禁門の変です。
ところがです。2年後薩摩藩はなんと宿敵である長州藩と、私が今いるこの場所で同盟を結びます。この場所・鞍馬口は当時会津藩の拠点の一つで多数の兵が駐屯していたところです。
会津藩は鞍馬口で、自潘を裏切る薩長同盟が結ばれていたことに気づいていなかったのでしょうか。”今日の味方は明日の敵。今日の敵は明日の味方“・・・ここでも、中央政局と化した激動の幕末京都の姿を見出した思いがしました。
(了)