黄檗開山 隠元禅師 登岸の地写真は、平成(2008)年 宇治川にかかる隠元橋の右岸に建立された記念碑。 承応3(1654)年 徳川幕府4代将軍 家綱のふかい帰依と手あつい保護をうけて、京都に寺領を約束された中国僧隠元隆琦いんげんりゅうきは、寺にふさわしい候補地を探していた。淀から船で宇治川をさかのぼり、この付近 までくると偶然にも東方の山すそから2羽の鶴が舞いたったのに瑞兆を感じて下船、寺の建立を決断した。故郷の明国福建省にある黄檗山の地形によく似ていたところから、寺は黄檗山おうばくさん萬福寺まんぷくじ と名づけられた。石碑には、福建省から運ばれた石が用いられ、中国仏教の伝統様式である亀跌きてつ亀の台石に鶴が舞う形に仕上げられている。 |