<IT画文集私の醍醐味> 兼松秀明 4/4

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江戸時代初期の萬福寺に 鐵眼(てつげん1630~1682肥後熊本出身)という僧侶がいた。一世の大事業として、一切経(いっさいきょう)の出版を思いたつ。一切経とは、仏教に関するすべてのことがらを記した 経典で仏教界において重用される、いわば辞典のようなものである。当時は、中国からの渡来品であり、だれしも が入手できる物ではなかった。資金調達には挫折もあったが全国を行脚して趣旨を訴え喜捨をつのり、今ふうのCF(Crowd Funding)による募金に成功した。明国から伝わった一切経を手本に復刻をはじめ、約17年の歳月をへて天和元(1681)年 一切経6,956巻の新版木が完成する。京都の木屋町二条西に一切経印房が開設{明治22(1889)年貝葉書院(ばいようしょいん)と改称され現存}され、紙に刷り込み印刷がはじまった。鐵眼版一切経がひろく仏教界にいきわたったのは、この時からとされる。約6万枚にわたる版木(重文)は、今も宝蔵院(ほうぞういん)の3棟150坪の収蔵庫に 納められている。また、鐵眼は版木を刻むにあたりタテ1行の字数を20字、ヨコ10行としてこれを1枚(単ページ)とさだめた。現在の原稿用紙の半ページに相当し、2枚で400字づめ原稿用紙1枚分となる。 新聞や出版物などでひろく用いられる明朝体の活字と原稿用紙は、この一切経の様式がルーツといえる。なお、萬福寺塔頭「宝蔵院」の寺名は、鐵眼の諡号しごう死後につけられた尊称、宝蔵国師にちなむ。
                          < 以 上 >