この社は京都市・愛宕山頂の愛宕神社が、この場所から遷座していったと伝え、
元愛宕とも呼ばれる。しかし背後の山は牛松山と呼ばれ、ここから愛宕山を望むことはできない。
『日本三代実録 』等によると、愛宕護神(あたこのかみ)と鎖座地である「愛宕護山」は、古代において丹波国に属していたことが記録されている。
この事実から、愛宕山は現在のように京都市(山城)側を表とするのではなく、
本釆は亀岡市(丹波)側からみた風景が本来の姿であったと考えられよう。
ならば山麓に元愛宕が鎮座する牛松山までが、古代の愛宕山に含まれた可能性がある。
いくつもの山袈が重なった「愛宕山麓」とでも言うべき雄大な姿が、丹波の神のすまう霊山であったかもしれない。
|
愛宕神社(阿多古神社)について |
眼下に保津川を見据え整美な山、牛松山を神奈備として千歳町国分に平安時代の「延喜式」神名帳にも記載された古社です。 |
お札さん |
火防せの神として、家々の台所など火を使う場所には、「阿多古祀符火迺要慎」のお札が貼られ、まち角の麦宕灯籠に灯明をあげる「火とぼし」の姿も各所で連綿と受け継がれ、
その崇敬の様は、伊勢へ七度、熊野ヘ三度、愛宕は「月参り」言われるほどです。
今も、四月二四日の鎮火祭には、「愛宕講」を始め多くの方が参詣に訪れます。 |
<追記> 私の町内でも、毎年・四月末に「愛宕参り」が恒例の行事です!
|
|
|