<IT画文集~私の醍醐味~>  齋藤 鞆音 2/4   

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「亀山 城跡」・巡り

 


  丹波・亀山城址は、JR・嵯峨野線の亀岡駅(南口)へ降り、駅前広場の正面道路先に見える森です!
  その道路を進むと(≒150m)、南郷公園の「秀光像」が迎えます!/ここは、城の内堀です!
  又、この公園は亀岡での「桜の名所」(3名所の一つ:七谷川・運動公園)です!「桜・並木」と「この堀の歴史的役割」を感じながら: 春日坂を半分・登ると、大本教神苑(天恩卿)の入り口です。手入れされた木立の道を進むと(≒150m)、内堀と城壁が広がります。/この日は五月晴れにも恵まれ 内堀の菖蒲(カキツバタ)が出迎えてくれました!!

          << 丹波・亀山城跡 >>  <画像:クリック>

 亀山城は、天正五年(1577~1579)頃、織田信長公の命を受けた明智光秀公が、丹波攻略の拠点として築城されました(第一期)。
 本能寺の変後、豊臣政権下では小早川秀秋が築城整備です(第二期)。
 そして、岡部長盛が亀山藩主であった慶長十四年(1609)~元和七年(1621)、大阪城の包囲網として西国大名の夫役による天下普請で完成した最大の近世平城です。(第三期)
 又、亀山城は、梯郭式平山城で、本丸・西ノ丸・二ノ丸等の内郭に内堀、外堀、惣掘の三重の堀をめぐらせ、城下町までを一体化した近世城郭なのです。
 約三百年余り続いた亀山城も明治十一年(1878年)の廃城令で、解体されるまでその雄姿を誇りました。

        *** 丹波・亀山城址(天恩卿)案内図へ ***

 その後、大正8年(1919年)、荒廃していた城跡を教団「大本」が買取り、石垣を積み直し「天恩卿」として、神苑整備されました。昭和十年(1935年)の大本弾圧事件で廃墟と化しましたが、戦後同教団によって復興され、 城跡のたたずまいとして残る石垣と清閑な森は、往時の姿を偲ばせてくれます。
    <注:ここの見学参観は、事前に申し込みと条件があります>

        < ひとくち・コラム >
  1)この城跡には、天下普請で城の石垣跡に各大名達が残した17種(?)刻印が約50ヶ所残ってます。
  2)復元された天守石垣の下から1/3は、築城当時の「穴太積み」があります。
  3)最城跡の石碑にそびえる「大・銀杏」:光秀公の手植え?/江戸中期に台風で倒れ、後継ぎの記録が有!。
  4)城跡の奥には「花明山植物園」が在り、大正・昭和期の懐かしい植物に再会出来ます。
        又、内堀の中ノ島をも楽しめます!

 

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