<IT画文集~私の醍醐味~>  齋藤 鞆音 3/4   

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城下の寺社・巡り


  
  亀山城址を巡るコース(約1時間半)を終え、裏口(内堀西)を出たところの、「池佳」でランチを楽しみました!
  ここは、旧亀岡町・内丸町で名前の通り外堀内の城跡です。旧町の中心部で旧役場、旧警察等々、そして現在も小中高が城を囲んでいます。   城を囲んだ旧町は東西と南北の道路が走っています。あちこちに城下町特有の袋小路が残っており、町名も本・旅篭・紺屋・塩屋等々当時を偲ばせます。
  又、亀山城は北側には低湿地が広がる(保津川)天然の要客を利用しているため、内堀だけです。
  街道が通る大手側(南側)には、内堀と外堀の二重堀で防御し、三重目の堀として惣堀をめぐらせた堅牢な城構えです。


    本町・寺院群
「外堀跡」を通り、初めての東T字路(本町:約200m)中程の北側・袋小路に(城側:小学校南)に寺院群が有ります。
  亀岡の寺院の多くは、戦国時代(15世紀)以降の設立とされています。
  本門寺(法華宗)は、応仁の乱で焼失後、城主の前田玄以に慶長五年(1600)に移設再建されました。
  壽仙院(浄土宗:元は城・本丸にあった)は、小早川秀秋が息子の墓提を弔う、寺として改称され移された。
  法華寺(法華宗)は寛正五年(1464年)円珠院日玉上人を開山として開かれ、城主小早川秀秋の保護で宝永六年(1709年)現在地に移された。 ・・・三寺院が約100mに並んでいます。

袋小路を出、東に進むと正面北側に神社が見えます。
  形原神社:当神社は、江戸中期・寛延元年(1748)亀山藩へ入封した形原松平信岑を主祭神とし、歴代の藩侯を祀る社として、明治13年創祀されました。旧亀岡町で亀山藩・歴代藩侯を祀る社です。   又、亀山城の三ノ丸で藩庁の南で、かつての大手側門の東側でも有ったとされています。
  秋祭りは(10月20〜25日)、「鍬山宮(上矢田)」と「八幡宮(篠)」の二輦の神輿が、巡幸します。加えて、辻々の山鉾巡行もあり、亀岡最大お祭の一つです。


    御土居&惣堀・寺院群
  この御土居・惣堀は、城下町の東南~南西側(都・浪速)入り口に当たる場所です。
  この惣堀の造営に当って堀り上げられたつちを、内側に土手状に高く盛り上げられたものが御土居です。
  その内側には、寺院が配置されています。これは、戦い時には前線として兵を蓄える拠点でした。
  宗堅寺(曹洞宗)は、明応元年(1489年)に長徳寺として創建され、その後、久松寺(1592年)として改修され さらに、寛永十二年(1635年)に当時・藩主「菅沼定芳」が父の戒名受け宗堅寺と改称されました。
  聖隣寺(臨済宗)は、明応二年(1490年)に栖林庵として創建され、その後、光秀が境内に毘沙門堂を建て町の守護神として安置しました。 その後、貞享三年(1686年)の大火で現在地に移設された。

 


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