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極楽寺山門・寿老人石像迎え |
極楽寺では七福神の寿老人をお祀りし長生きを祈願します。当寺は開基より360年を数え浄土宗知恩院末寺であり、
境内に元出雲神社神宮寺に祀られていた、重要文化財平安末期作の御身丈2.15メートルの十一面観音菩薩立像を安置しています。
この観音像は、明治以前は出雲神社の観音堂に安置されていたことから、出雲神社神宮寺の仏像とされ、雨乞いの神事にも使われたとされています。
又、現在国の重要文化財に指定されています。
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身を 寿ぐ鏡 ”寿老人 寄る年波を 悔やまずに 日々の恵”
その後、堂は復元され明治初年まで同地に鎮座していたのであるが、
明治六年、神応寺境内の八幡宮を百足山に遷座し、昆沙門天を仏法擁護の神として神応寺内に転祭し、現在に至る。
毘沙門天像は木造極彩色、左手に鉾をもち右足にて鬼神羅刹を踏まえ、
向かって左に吉祥天、右に善膩師童子を脇侍として
従え財施の神として古米より信仰されている。毎年正月の初寅の日には開扉して、いにしえ祭典が行われる 。
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東光寺山門・風景
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東光寺は、仁和年間(885~889年)に延暦寺5世智証大師円珍が、
出雲大神宮の神体山である千年山の麓に金仙寺を開創し、薬師如来を祀ったのが始まりと伝えられている。
その後、盛衰を経て、亀山(現亀岡)小口村に隠遁していた邦茂王の次男が金仙寺の薬師如来を自坊に祀り、
東光寺の第二の始まりとなる。邦茂王は伏見宮第7代邦輔の子で、臣籍降下して隠遁したといわれる。
邦茂王の陵墓が東光寺の山奥にあり、宮内庁管理となっている。
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現在の東光寺は、寛延年間(1748~51年)に現在地に移され、本尊は釈迦牟尼となり、薬師如来は薬師堂に祀られている。
また、七福神の福禄寿が祀られている。山麓に静かに建ち、邦茂王の菩提を弔う風景が漂う。
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